日本の絹を「知る」「学ぶ」「楽しむ」総合情報サイト

世界の中心だった「糸都(しと)岡谷」 岡谷蚕糸博物館の過去

「ものづくりのまち」岡谷の原点は、明治時代から昭和にかけて繁栄を極め、遠くヨーロッパやアメリカでも「SILK OKAYA」として名を馳せた製糸業にあった。ひとつの産業が街をダイナミックに変革した類い稀な物語を、岡谷蚕糸博物館の髙林館長にうかがった

世界の中心だった「糸都(しと)岡谷」 - 岡谷蚕糸博物館の過去

岡谷蚕糸博物館に到着してまず目に入るのは、特徴的なノコギリ屋根のファサード。1948年にこの地に建てられた農林諏訪湖のほとりにある長野県岡谷市は、ちょうど日本の真ん中にある。江戸時代、中山道と甲州街道が交わる宿場町であった下諏訪は、中山道で唯一温泉があったことから、疲れを癒すために多くの旅人が滞在し、日本各地の珍しい情報が飛び交う土地であったという。通信手段が限られていた時代、宿場町を舞台にした人と人との情報交換は、現代のSNSのような役割を果たしていたのかもしれない。その人伝の価値ある情報が、岡谷の生糸を京都へ、そして遠くヨーロッパ、アメリカへと導くことになる。

標高780メートルの高地にあり、冬が長く寒さが厳しい諏訪地方では、江戸時代から、農家の農閑余業として、桑を栽培して蚕を育て、生糸作りが盛んになっていった。当時は「手挽き」で作られていた生糸は中山道を行き来する近江商人の目に留まり、登(のぼ)せ糸」として京へと運ばれ、西陣で着物や帯に生まれ変わった。そして江戸時代後期、絹の生産主要国であったヨーロッパ各国で蚕の伝染病が蔓延し、全滅に近い大打撃を受けたことにより、遠く東洋にまで、病気に侵されていない蚕を求める使者が訪れるようになった。やがて1859年に横浜が開港すると、生糸の世界にはかつてない一大変革が起きる。
外国との貿易が始まると、日本の生糸はたちまち花形となり、最盛期には輸出品の80%を占めるほどに拡大。イタリアやフランスなど製糸先進国の技術を導入して官営の富岡製糸場が誕生し、一定の品質を保つ生糸の大規模生産がスタートした。

明治初期、日本にたくさんあった生糸の産地の中でも、いち早く情報をキャッチし、生産拡大に結びつけたのが岡谷だった。三代目武居代次郎は、イタリアとフランスの機械のメリットを上手に取り入れ、なおかつほとんどの材料を木製とし、陶器を組み合わせて「諏訪式繰糸機」を開発。フランス式と比べて1/20〜1/30で作れるほど安価であり、糸繰りの能率もよかった諏訪式繰糸機は、岡谷を製糸業の中心地へ押し上げ、その機械は日本全国へと広がっていった。この武居代次郎という人物、糸商にもかかわらず、機械道楽と呼ばれた趣味が高じて画期的な発明を成し遂げたのだから驚きだ。今でいうと「オタク」というべき人材の発明が、国の近代化の一翼を担うことにも繋がった。

明治後期、中国を抜いて世界一の生糸生産国となった日本を支えたのが、製糸業の中心地となった岡谷だった。煮繭・繰糸作業で大量の用水を必要とする製糸工場にとって、天竜川の豊富な水は必要不可欠なもの。同時に天竜川には水車が立ち並んで動力源としても使われ、製糸業の発展に大きな役割を果たした。1905年に鉄道の中央本線が開通すると、全国から繭の輸送が可能となり、大量の繭が岡谷駅に到着。工場の動力源となる石炭も全国各地から続々と入荷し、天竜川河畔のドックから、船で各工場に運ばれたという。

最盛期には、全国から集まった3万5千人の工女さんたちが働いていた華やかな工業都市、岡谷。製糸業の発展は、直接関連する業種や携わる人々だけに影響するわけではない。繭や生糸を運ぶ運送や保管する倉庫、鉄道の開通、電信・電話の整備、郵便、電気の普及、さらに働く人たちを支える病院や住居、宿泊施設、飲食店、劇場などの娯楽施設と、あらゆる業種へと広がり、静かな農村はエネルギッシュな工業都市へと劇的な変貌を遂げていった。情報収集に適した地理条件、豊かな水流と森林資源に恵まれた風土、アイデアをカタチにした人の才能・・・。いくつもの条件が重なって成し得た、「糸都岡谷」の輝かしい発展。岡谷蚕糸博物館を訪れると、日本の近代化の一翼を担った大きな潮流に触れ、過去から現在、未来へとつづいてゆく壮大な物語に触れることができる。


[未来編に続く]


岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)

〒394-0021 長野県岡谷市郷田1-4-8
Tel. 0266-23-3489 Fax. 0266-22-3675
■開館時間 午前9:00〜午後5:00
※宮坂製糸所、まゆちゃん工房は9:00〜12:00、13:00〜16:00
■休館日 毎週水曜日(その日が祝日の場合は開館)祝日の翌日、12/29〜1/3、その他臨時休館日あり
■ホームページ http://silkfact.jp


取材・文 嶋田 桂子  KEIKO SHIMADA

コピーライター・ライター。文化服装学院 ファッション・エディター科卒業後、広告制作会社勤務を経てフリーランスになり、多くの広告媒体に携わる。得意分野はファッション、ビューティ、百貨店、ギフト、フード、会社案内などで、取材・インタビューも手がける。「26の物語で紡ぐ日本の絹」の執筆も担当。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)