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時代を超える研究者の誇り 蚕糸科学技術研究所の過去

日本の近代化を支え、昭和初期に最盛期に達した蚕糸業も、ナイロンをはじめとする化学繊維の登場で苦境に陥る。国立研究機関や大学、民間の研究機関も、一丸となって基礎研究に向き合い、品質改良や利用面の拡大を図る必要に迫られた。こうして誕生した「蚕糸科学研究所」と、その小平養蚕所を源とする「蚕業技術研究所」。激動の時代とともに歩んできた、基礎研究の歴史を振り返る。

当時の小平開所の様子:画像提供 蚕糸科学技術研究所
当時の柏木本所の様子

横浜開港以来、紆余曲折はあったものの発展を続けてきた蚕糸業にとって、ナイロンという最強のライバルの登場によって訪れた危機。1940年、2月の農林大臣の要請を受け、3月16日に設立を許可された蚕糸科学研究所は、現在ではあり得ないスピーディな展開のもと、片倉工業、群是製絲、三井物産、三菱商事などの大手企業から171万円、現在の価値に置き換えると約45億円もの寄付を集め、東京都淀橋区(現新宿区)柏木に設立された。初代所長には、ビタミンBを発見した農芸化学者、鈴木梅太郎博士の弟子であった平塚英吉博士が就任したが、当時お手本にしたのが、科学を産業に活かして活動する研究所として定評があった旧理化学研究所だった。最大の特徴は、独創的研究力に富む学者を所員に委嘱して、ここに思い切り研究費を投入することであり、その先進的な思想を蚕糸科学研究所も受け継ぐことになる。
1940年、4月1日に発足した蚕糸科学研究所は、絹に関する基礎研究を推進し、絹の長所と短所を究明し、その優れた性能を伸ばして用途の拡大に努めることを第一の目的として、大きな構想を抱いてスタートした。その高邁な志は、第二次世界大戦によって転換を余儀なくされ、製糸用水や節のある玉糸の品質改善、煮繭の適正化、製糸工場による公害の分析、省エネルギー対策など、より実用的な研究を重ねることで成果をおさめた。
そして近年では、絹の需要拡大が強く要請されるなか、生糸生産技術の総合的な研究はもちろん、シルク新素材の開発および医療や化粧品、食用など、非衣言う料分野への利用に関する研究にも取り組んでいる。

一方、蚕業技術研究所のルーツは、1940年、東京府北多摩郡小平村に設立された蚕糸科学研究所の小平養蚕所であった。1974年に茨城県稲敷郡阿見町への移転を契機に蚕品種研究所として独立し、蚕品種の育成とそれらの原蚕種の製造と提供を主たる業務としてきた。
なかでも画期的だったのは、1949年に研究所施設の「開放利用」を関係団体に呼びかけたことで、この大胆な施策には、蚕種製造業者が積極的に反応した。当時、大手企業だけが研究施設を持ち、独自の蚕品種を所有していたが、中小の蚕種製造業者も企業としての自立と経営の安定を目指して、自前の品種を持ちたいと熱望していたため、会員制の任意組合蚕種研究会を組織し、蚕品種育成を委託。遺伝学者の田島弥太郎博士が中心となり、たくさんの蚕品種が育成され、組合員の企業に提供された。
独自の蚕種をもち、交配し、より良い繭を製造していくことは蚕糸業の基本であり、かけがえのない国産絹を継承していくために必要なことであった。蚕業技術研究所は養蚕の土台を支えてきたのである。

16〜18世紀、ヨーロッパの先進国が海を渡って新たな交易を始めるとき、必ず遺伝学者を伴い、他国の植物の種、昆虫や動物の卵を持ち帰った。かつて遺伝資源は世界共通の財産であったが、現在では、大切に守るべき自国の宝となっている。
「蚕糸科学研究所、蚕業技術研究所ともに、根底にあるのは基礎研究です」。新保所長の言葉通り、科学者や研究員が日々積み重ねている地道な作業の集大成が、この研究所を支えている。
お話をうかがう間、新保さんの傍には、蚕糸科学研究所の初代所長を務めた蚕糸学者、平塚英吉博士が著した「近代蚕品種記録」と「日本蚕品種実用系譜」の2冊が置かれていた。長年にわたって多くの研究者がページをめくった痕跡のある2冊の大著は、今なお“蚕種のバイブル”として大切にされ、そこに詰まった膨大なデータベースは、現在そして未来の蚕糸業を導いている。

「近代蚕品種記録」と「日本蚕品種実用系譜」:画像提供 蚕糸科学技術研究所

蚕糸科学技術研究所

〒300-0324 茨城県稲敷郡阿見町飯倉1053
Tel.029-889-1771
■ホームページ http://www.silk.or.jp/


取材・文 嶋田 桂子  KEIKO SHIMADA

コピーライター・ライター。文化服装学院 ファッション・エディター科卒業後、広告制作会社勤務を経てフリーランスになり、多くの広告媒体に携わる。得意分野はファッション、ビューティ、百貨店、ギフト、フード、会社案内などで、取材・インタビューも手がける。「26の物語で紡ぐ日本の絹」の執筆も担当。