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夢の蚕を生んだ科学の殿堂 蚕糸科学技術研究所の現在

日本の近代化を牽引した蚕糸に関わる研究所は、かつては日本全国に多数あったが、現在では数えるほどになってしまった。そのうちの主要施設、蚕糸科学研究所と蚕業技術研究所が合併し、「養蚕から絹織物まで一貫した総合研究」を行う機関へと生まれ変わった。2021年4月に新たなスタートをきった蚕糸科学技術研究所について、所長の新保さんにうかがった。

緑の葉を風にそよがせながら、見渡す限り一面に広がる桑畑。4ヘクタールの広大な桑畑から採れる新鮮な桑の葉が、研究所で飼育される蚕の成長を支えている。桑園には153種の桑品種見本園が設置され、人類が古代から恩恵を受けてきた桑の品種の維持にも貢献している。蚕種の製造から蚕の飼育、新たな蚕品種の開発や遺伝資源の保存、養蚕農家への技術指導、繭質の調査や生糸検査、生糸の受託生産など、研究所が手がける基礎研究や技術の提供は多岐にわたる。オリジナル蚕品種はもとより、日本の蚕糸業を支えてきたカネボウ系蚕品種の蚕種も、養蚕農家や企業向けに年間500万粒ほど製造。先人たちの努力と閃きの結晶でもある蚕種を守り、養蚕の維持に重要な役割の一端を担っている。各部署にプロフェッショナルを揃え、まさに絹のサイクルすべてに関わる、日本で唯一の研究機関といえるだろう。

生物の恵みをいただき製品化する蚕糸業において、良質な繭をつくる品種の選抜や系統の維持には、繭の品質評価が不可欠だという。保存している蚕品種の繭質が適正に継代維持されているか調査するため、研究所では、検定用の繰糸機を用いて繭質評価を行っている。また、生糸の性状調査に必要な技術と専用設備も整備され、生糸検査にも対応。「皇居の紅葉山御養蚕所で育まれる純国産種の蚕、小石丸の繭も、すべてこの研究所に運ばれて来ます」と語る新保さんの顔は誇らしげだ。とても小さく、くびれのある俵型の繭を持つ「小石丸」は、極細で太さも均一ではないため糸をひくのが難しく、扱うことができるのは3名しかいないとお聞きした。養蚕農家の座繰りから工女たちが活躍した繰糸機、自動繰糸機へと発展してきた日本の製糸の歴史。研究所という施設の中、白衣に身を包んだ研究員の方々に、古くから守られてきた技が受け継がれているのが興味深い。小石丸の繭から大切にひかれた生糸は、独特の綛(かせ)に仕上げて皇居にお返しされ、また20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮に必要な御料生糸も、小石丸に関しては、この研究所で長い年月をかけて繰糸されている。

約270種のカイコ遺伝資源を保有し、その遺伝解析と巧みな交配・選抜技術の融合により、フラボノイド豊富なレモンイエローの繭をつくる「おりひめ」、玉繭を多くつくる「玉小石」などのユニークな蚕品種を開発してきた蚕糸科学技術研究所。衣料のみならず、医療分野や化粧品など、多様な消費ニーズに応える品種の開発にも積極的に取り組んでいる。近年、とくに話題となったのが、大沼昭夫博士が開発に成功した、雄だけが孵化する蚕品種「プラチナボーイ」の誕生だった。同じ量の桑の葉を食べて育っても、雌と比べて雄のほうが丈夫で飼育しやすく、20%ほど多く生糸を生産し、糸も細く長い。「雄だけの蚕は、養蚕業にとって“夢の蚕”だったんですね」との言葉通り、雌雄の性に関与する性染色体、2種類の劣勢致死遺伝子およびガンマ線照射技術を組み合わせて作り出された、遺伝学の芸術ともいうべき傑作。“夢の蚕”の開発には、アイデアが閃いた1968年から開発が成功した2005年まで、実に37年の歳月を要したという。光沢のある生糸は繊細でありながら強く、織り上がった絹は艶やかでなめらかな肌触りが絶賛されている。「プラチナボーイ」は多くの関係者の尽力で製品化され、研究所から養蚕農家、織りや染めを経て、価値ある国産絹のきものへ。この地で誕生した画期的な蚕の新品種は、新しい姿となって、日本の美を継承している。


蚕糸科学技術研究所

〒300-0324 茨城県稲敷郡阿見町飯倉1053
Tel.029-889-1771
■ホームページ http://www.silk.or.jp/


取材・文 嶋田 桂子  KEIKO SHIMADA

コピーライター・ライター。文化服装学院 ファッション・エディター科卒業後、広告制作会社勤務を経てフリーランスになり、多くの広告媒体に携わる。得意分野はファッション、ビューティ、百貨店、ギフト、フード、会社案内などで、取材・インタビューも手がける。「26の物語で紡ぐ日本の絹」の執筆も担当。