


近代化を支えた生糸の港町 横浜の過去

世界への旅立ちを支えた港湾都市 横浜の現在

群馬県安中市、妙義山の麓に広がる緑豊かな谷あい、碓氷川のほとりに建つ工場。かつて日本の近代化を推し進めた花形産業であり、現在は岐路に立つ製糸業について、日本最大規模の繰糸機を有し、国産生糸の60〜70%を生産する碓氷製糸にうかがった。
日本全国にたった2社。これは、昭和初期には2000近くもあった器械製糸工場の数である(宮坂製糸場や松澤製糸場は国用製糸)。養蚕農家数、繭生産量、生糸生産量のいずれもトップを誇る日本一の蚕糸県、群馬にある碓氷製糸は、最盛期には3,000人の組合員を抱える大規模な工場として生糸をつくり、全国へ出荷していた。
自然の恵みである繭を養蚕農家から仕入れ、サンプル採取、繭乾燥、貯繭、選繭、煮繭、策緒、抄緒、繰糸、揚返し、仕上げと、多くの工程を経て生糸へと仕上げていく絹の製糸。碓氷製糸は純国産生糸にこだわり続け、東北から九州まで12県・162戸の養蚕農家から全生産量の60〜70%にあたる62トンの繭を仕入れている。蚕の種類、繭の生産地、繭の処理、繰糸方法を組み合わせてつくられる高品質かつ特徴あるオリジナル生糸は、およそ50種類。この価値ある生糸は、上質な素材を求める織物業者、染織作家、アパレルメーカーなどに納められている。
器械製糸といっても、一部は手作業が必要で、とくに繰糸機に繭をセットアップするため糸道に生糸を通す工程は、わずか5秒の間に糸を繋がなければ失敗してしまう。その慌ただしくも正確な手作業は、見ているだけで緊張してしまうほど。当然、熟練した人材が求められ、若い後継者を育成していきたいが、それにはもっと生産量を増やしていく必要があるという。この30年の間に国産生糸の全生産量は激減し、1990年頃と比べても現在の生産量は約1/20。不況が影響して廃業してしまった製糸工場の器械は、遠く中国や東南アジア、ブラジルへと渡り、それらの国々で生産される生糸の質は飛躍的に向上することになる。
新たなビジネスの開拓がますます重要度を増している生糸の現在。日用品や肌着、化粧品など、絹にしかない特質を活かしたオリジナル製品の開発は、一筋の光明となっている。なかでも高い人気を誇るのが、群馬県オリジナルの繭を使ったボディタオル。人の肌と同じ18種類のアミノ酸で構成され、繭に含まれる天然成分セリシンをあえて落とさない生糸を使った商品は、肌への刺激が少なく、やさしく洗い上げる。このボディタオルになるのが、網目状で空気をたくさん含み、ふんわりと軽いネットロウシルクという特殊な生糸。優れた製糸の技術を活かし、群馬オリジナルの繭をネットロウシルクに仕上げた産品は、敏感肌に悩む人たちを救うことに繋がり、ビジネスとしても成功を収めている。自然の恵みをいただき、手間ひまかけて生産するため、あまりにも高価になってしまった国産絹は、本来は毎日の生活に欠かせない身近な存在だった。ボディタオルやマスクなど、私たちにも手の届く普段使いのアイテムは、そんな事実を再認識させてくれる。
美しい光沢があり、ムラや節のないなめらかさで、取引先の商社から「世界一の糸」と絶賛される碓氷製糸の生糸。「“繊維の女王”と呼ばれる絹を扱い、最後に残った工場として、その灯を絶やしてはいけないという使命感をもっています」と語るのは、工場長の今村さん。「そのためには、結局いいものをつくるしかない。誇りと緊張感をもって糸をつくっています」。
出荷を待つ碓氷製糸の生糸の綛(かせ)には、“UKIYOE”という文字と日本髪の女性が描かれた、昔ながらの商標が付けられている。そこには、日本の生糸の魅力を世界へ向けて発信し、輸出へと繋げ、「再び世界へ出ていきたい」という願いが込められている。
〒379-0221 群馬県安中市松井田町新堀甲909番地
Tel. 027-393-1101 Fax. 027-393-1102
■開館時間 午前9:00〜午後5:00
■ホームページ www.usuiseishi.co.jp/
取材・文 嶋田 桂子 KEIKO SHIMADA
コピーライター・ライター。文化服装学院 ファッション・エディター科卒業後、広告制作会社勤務を経てフリーランスになり、多くの広告媒体に携わる。得意分野はファッション、ビューティ、百貨店、ギフト、フード、会社案内などで、取材・インタビューも手がける。「26の物語で紡ぐ日本の絹」の執筆も担当。