


近代化を支えた生糸の港町 横浜の過去

世界への旅立ちを支えた港湾都市 横浜の現在

明治から昭和にかけて、「糸都(しと)岡谷」と呼ばれ日本の製糸業の中心地として栄え、遠くヨーロッパやアメリカでも「SILK OKAYA」として名を馳せた長野県岡谷市。「ものづくりのまち」の原点を、岡谷蚕糸博物館でたどった。
岡谷蚕糸博物館に到着してまず目に入るのは、特徴的なノコギリ屋根のファサード。1948年にこの地に建てられた農林省蚕糸試験場岡谷製糸試験所(その後の農業生物資源研究所)の実験棟をイメージしたものだという。日本で初めてオリンピックが開催された1964年に開館した岡谷蚕糸博物館は、製糸工場を併設する世界に類のない博物館として2014年にリニューアルし、ただ展示物を観て回るだけではなく、シルクの世界を五感で味わう文化施設へと生まれ変わった。その愛称は「シルクファクトおかや」で、製糸工場の“Factory”とシルクや製糸業の真実“Fact”を伝える施設でありたいとの願いが込められている。
桑を食んで大切に育てられたお蚕さま。館長の髙林さんの口からは、蚕ではなく「お蚕さま」という呼称が出てくる。貴重な恵みをいただいて最高品質の生糸(絹の原糸)を育んできた土地の人々が持つ、ごく自然な畏敬の念を感じた。お蚕さまが吐き出した糸で繭が作られ、その繭から引き出した糸をそろえて生糸にする座繰りの技。現在ではオートメーション化された工程も、博物館に併設された宮坂製糸所では、昔ながらの手仕事も含めて見学が可能だ。93年の長い歴史を誇る宮坂製糸所は、明治8年に岡谷市で開発された諏訪式繰糸機(すわしきそうしき)、素朴で味のある糸を紡ぐ上州式繰糸機が今もなお実際に稼働している、産業遺産としても貴重な施設。開発当時、ほとんどが木製だった繰糸機は、部分的にスチール素材に変化しながらも、当時のままの仕組みで繭から糸を繰り出し、生糸へと生まれ変わる瞬間を目の当たりにすることができる。たとえば、1975年に登場して以来、矢継ぎ早に姿を変えて進化してきたパソコン。5年前の機種でさえ古いと感じてしまう現代にあって、140年以上にわたって変わることなく、高品質の生糸を生み出し続ける繰糸機の完成度の高さには驚かされる。
岡谷には、桑の栽培、お蚕さまの飼育、製糸にとどまらず、運送、倉庫、金融へと影響を広げていった蚕糸業をベースに、女性や地方からの雇用、それに伴う住宅、宿泊、飲食、娯楽といったサービス業の増加など、さらに大きな経済発展を成し遂げた輝かしい時代があった。そして現在、蚕糸業で培われた確かな技術や豊かな水に恵まれた工場の敷地、経営を知る人材など、蚕糸業の財産は他の産業へと結びつき、時計・オルゴール・光学機器など、精密機器の製造として開花。「東洋のスイス」と呼ばれる、ものづくりの街へと繋がっている。標高780メートルという自然環境の厳しい高地にあって人口20万を誇るのは、日本全国でもここ長野県諏訪地域だけ。その礎は、まぎれもなく明治から昭和にかけて隆盛を極めた蚕糸業にある。
[過去編に続く]
〒394-0021 長野県岡谷市郷田1-4-8
Tel. 0266-23-3489 Fax. 0266-22-3675
■開館時間 午前9:00〜午後5:00
※宮坂製糸所、まゆちゃん工房は9:00〜12:00、13:00〜16:00
■休館日 毎週水曜日(その日が祝日の場合は開館)祝日の翌日、12/29〜1/3、その他臨時休館日あり
■ホームページ http://silkfact.jp
取材・文 嶋田 桂子 KEIKO SHIMADA
コピーライター・ライター。文化服装学院 ファッション・エディター科卒業後、広告制作会社勤務を経てフリーランスになり、多くの広告媒体に携わる。得意分野はファッション、ビューティ、百貨店、ギフト、フード、会社案内などで、取材・インタビューも手がける。「26の物語で紡ぐ日本の絹」の執筆も担当。