


”Y” 糸/Yarns かつて世界一だった日本の生糸

”W” 驚/Wonder 驚きの強さと美しさ

2019年度、一般財団法人大日本蚕糸会とともに、蚕糸・絹業提携グループ全国連絡協議会は、日本における絹の歴史や文化を紹介するために、ブランドブック「26の物語で紡ぐ日本の絹」を作成しました。
takaraginu.comではWEB公開企画として、追加取材で作成した記事ととも、AからZまでのアルファベット順に更新していきます。
華やかな門出を祝う晴れ着として定番となった振袖ですが、元々は子ども用の着物の袖の形で、子どもの高い体温を逃がすため袖の見頃側を縫わずに開けた「振り八つ口」と呼ばれました。
子どものためのものですから、当然女子だけでなく男子も着ていました。その後、通過儀礼として男子は17歳で元服、女子は19歳で裳着(もぎ)を迎え、袖を切って脇側を縫い大人と同じ袂の閉じた着物になりました。
江戸時代になると振袖は未婚の女性が着る正装になりました。江戸時代中期にかけて振袖が長くなっていったのは、美しい所作と同時に袖を振るという動作が、厄払いや浄めの儀式に通じるからと言われています。
神社などで行う柏手や鈴を鳴らすという動作と同じく、袖を振ることが魂振りと言われ神事に繋がっていました。また、神様だけでなく、良縁に恵まれるとも言われ、古く万葉集でも額田王が、袖を振るという動作が異性への思いを表すという歌を歌っています。
婚礼の振袖の柄には慶次の象徴である鶴や松竹梅、亀甲紋などが定番として多く描かれています。華やかな色が好まれる振袖ですが、明治時代には結婚した後に袖を短く切って留袖に仕立て直せるということから、黒地の婚礼衣装を用意することが多かったようです。
その実家との別れを「袂を分かつ」という言葉が表しています。娘にとって人生最大の行事の後に振袖の袂を切るということで、婚家の嫁としての生活を踏み出したのでしょう。そして今でも華麗な振袖は、婚礼、成人式など、人生の門出にふさわしい装束として人々に愛されています。