


”Y” 糸/Yarns かつて世界一だった日本の生糸

”X” 驚/eXcellence 門出を祝う華麗な振袖

2019年度、一般財団法人大日本蚕糸会とともに、蚕糸・絹業提携グループ全国連絡協議会は、日本における絹の歴史や文化を紹介するために、ブランドブック「26の物語で紡ぐ日本の絹」を作成しました。
takaraginu.comではWEB公開企画として、追加取材で作成した記事ととも、AからZまでのアルファベット順に更新していきます。
日本の蚕の歴史は蚕種改良の歴史といっても過言ではありません。
江戸時代までは中国から大量の生糸を輸入していましたが、国内の金銀が国外へ流出するのを食い止めるために、江戸幕府は元禄以降、絹の輸入を制限ししはじめ、同時に幕府が養蚕を奨励したこともあって、各藩で品種改良が行われるようになりました。
その頃から情熱を持った大きな農家が蚕種製造業を始め、全国各地に蚕種を売りながら、技術指導をしていたといわれています。
その長い歴史の中で生まれた蚕種がプラチナボーイです。
プラチナボーイはオスしか卵から孵りません。
オスの蚕の方が卵を産まない分、糸が丈夫で美しいと言うのは研究者の知るところでしたが、オスだけが孵る蚕種を開発するためには40年ちかくの開発期間がかかりました。
そして完成したプラチナボーイは細く長い糸が引けるということが一番の利点ですが、も餌の量が少なくすみ、繭作りのタイミングが揃うなど、生産者への大きいメリットもあります。
現在、生産地ではプラチナボーイの繭を使って、これまでにない反物を作れないかと研究しています。繭の生産地、桑畑で使われた肥料、糸や真綿を作った人、織り手や染師、仕立師に至るまで、食料品の生産履歴のように、顔の見えるモノづくりを消費者にアピールしていこうとしています。コストとは違う土俵で戦えるような、純国産繭だからこその付加価値、魅力ある商品が評価されるようになれば、品質もより向上し、後継者も育つに違いありません。
[参考資料]
『天の虫 天の糸―蚕からの着物づくり』 長町美和子 著(ラトルズ)