


”Y” 糸/Yarns かつて世界一だった日本の生糸

”X” 驚/eXcellence 門出を祝う華麗な振袖

2019年度、一般財団法人大日本蚕糸会とともに、蚕糸・絹業提携グループ全国連絡協議会は、日本における絹の歴史や文化を紹介するために、ブランドブック「26の物語で紡ぐ日本の絹」を作成しました。
takaraginu.comではWEB公開企画として、追加取材で作成した記事ととも、AからZまでのアルファベット順に更新していきます。
日本の甲冑は金工、鍛鉄、漆工、染織、などあらゆる工芸技術の集合体ですが、組紐で結びあわせて着用することで甲冑は完成しました。そのため組紐には縁起の良い柄、機能美が求められ、鉄砲が出回るまで、甲冑と組紐の進化は続きました。
江戸時代には鎧師の兼業であった組紐作りが、専門の組紐師として独立し、高度な技術を持つ職人が増えていくこととなりました。
天下泰平の世の中で武士は外装に凝るようになり、刀の下緒として組紐を使い始め、組紐も自分で作ることは武士の嗜みと言われていました。
その後、江戸後期には生活に困った武士は内職として組紐を作り、組紐屋の下請けとなったり、組紐屋になった武士もいたそうです。
江戸後期までは女性の組紐の利用は少なかったのですが、歌舞伎役者が着崩れを防ぐために帯の上に紐を締めたことから人気が出たと言われています。
帯の幅が広くなり、お太鼓、お文庫など新しい締め方が現れたことにより、帯締めの需要は伸び、組紐による帯締めが流行しました。刀狩りによって下緒としての需要がなくなった職人は染め、柄、形など多様な帯締めを作り人気を博しました。
近年は着物の帯締めとしての需要は減りましたが、それぞれの組紐屋では「組紐体験」などで観光客にアピールするなど、組紐文化の存続に勤めています。アニメ映画に使用されたことや、素材、染め、柄に工夫を凝らしたアクセサリーに使われたりと注目を集めています。
誰にでもできる趣味的な一面で人気が出てきている組紐ですが、高価な美術品として特別な技術を誇った職人たちは、自分の技術を口外しないようにしていたと言います。そのため、製作方法がわからないものも多く、今でも研究が進んでいます。
[参考資料]
『組紐 ジグザグのマジック』多田牧子著 (LIXIL 出版)