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”G” 贈/Gift 蚕と人間の約束

2019年度、一般財団法人大日本蚕糸会とともに、蚕糸・絹業提携グループ全国連絡協議会は、日本における絹の歴史や文化を紹介するために、ブランドブック「26の物語で紡ぐ日本の絹」を作成しました。
takaraginu.comではWEB公開企画として、追加取材で作成した記事ととも、AからZまでのアルファベット順に更新していきます。

”G” 贈/Gift
蚕と人間の約束

命をいただく責任

古代中国で野生の桑蚕を家畜化したところから、養蚕は始まったと伝えられています。繭を取ることが容易になるように大人しく、成虫になっても飛べないように野生の桑蚕を品種改良していったのです。

自ら餌を取りに行くことのない蚕は、人間が与える桑の葉だけを食べ、時期が来ると用意された枠に行儀よく一頭ずつ入り繭を作ります。

繭は収穫され、人の生活に利用されるために蚕の命は絶たれます。

養蚕農家は良い繭を作るため、蚕の命に責任を持ち、愛情かけて育てます。そして繭から生まれたシルクは最高級の繊維として、私たちの生活になくてはならないものになりました。

国を挙げて守られていた養蚕

明治時代から代表的な輸出産業だった蚕糸業は、「蚕糸業法」という法律で守られてきました。

1998年に廃止されるまで、蚕業試験場などの研究機関や、品質を管理し卵を販売する蚕種業者だけが、卵をとること、卵から幼虫の飼育が許可されていました。これほど厳格な法で守られていた背景には、品質の低下や伝染病を防ぐ狙いがあったと思われます。

大昔の伝説では、蚕の卵を髪の毛の中に隠して、外国に渡ったという姫君のおとぎ話があります。それくらい重要な機密であったということでしょう。

農業から工業へ

現在、シルクは着物だけでなく、肌着、化粧品、栄養食品にも使われています。特に注目されるのが、九州大学とベンチャー企業KAICOが手がける、蚕を使った感染症抗体検査キットの開発、ワクチン、治療薬などの研究です。人々の暮らしに役立ってくれていた蚕が、農業の分野から工業の分野に発展しています。

しかし、どんなに最先端の技術でも蚕が桑の葉を食べ続けることは変わらないので、九州大学でも校内に桑畑を作り続けるそうです。研究室と桑畑、一見両立しないような景色が新しい養蚕の形なのかもしれません。

[取材協力]
蚕養技術研究所
奄美島絹振興研究会